それは、静かに雨が降り続く、ある休日の午後のことでした。少し感傷的な気分になった私は、本棚から一冊の古い小説を取り出しました。それは学生時代に何度も何度も読み返し、ボロボロになるまで付き合った、私の人格形成にさえ大きな影響を与えてくれた、かけがえのない一冊でした。表紙の擦り切れを指で撫で、懐かしいインクの匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、思い出の詰まったページを開いた瞬間、私は息をのみ、その場で凍りつきました。ページの余白部分に、まるで小さな虫が這ったような、ギザギザとした不規則な削り跡が残されていたのです。信じられない思いで慌てて他のページをめくると、いくつかのページには、無惨にも小さな、しかし確実に貫通した穴が空いていました。頭が真っ白になりました。大切に、本当に大切にしていた、もはや金銭的な価値では測れない、私の青春そのものが詰まった本でした。ショックと、何が起こったのか理解できない混乱で、しばらくその場に立ち尽くすことしかできませんでした。私は震える手で、恐る恐る本棚の他の本も確認し始めました。すると、一番奥にしまっていた古い辞書の背表紙の近くで、あの銀色に光る小さな悪魔、シミ(紙魚)が素早く動くのを見つけてしまったのです。テレビや本でその存在は知っていましたが、まさか自分の聖域である本棚に潜んでいるとは夢にも思っていませんでした。恐怖と怒り、そして何よりも大切な本を傷つけられた深い悲しみが一度にこみ上げてきました。その日から、私と見えない敵との、気の遠くなるような戦いが始まりました。本棚の本を全て出し、一冊一冊確認してはホコリを払い、風を通す。除湿機をフル稼働させ、部屋の湿度計と毎日睨めっこする日々。幸い、致命的な被害は数冊に留まりましたが、穴の空いてしまったあの小説を見るたびに、私の胸は今でもチクリと痛みます。あの小さな穴は、私の管理が甘かったことの紛れもない証であり、二度と油断してはならないという、私自身への消えない戒めなのです。本を愛するということは、ただ読むだけでなく、その存在を守り抜く責任も伴うのだと、あの小さな侵入者は、私に身をもって教えてくれました。